'10/12/29 : 降水量 38 ml ~ 12月の読み物 ③バッカーノ!1705
今月の読み物から三冊目の紹介。今回は成田良悟著「バッカーノ!1705」。
そう、ラノベです。
なにが「そう、」なのかはわからないけれど、ラノベを批判してみたことだし読んでみよう、と。
(批判する前に読めよ、というツッコミは受け付けません)。
さてその内容である。
あくまでも「ライトノベル全般」ではなく本書「バッカーノ!1705」の感想ですのであしからず。
まずは本書を選んだ理由なのだが、前回紹介した「ライトノベル文学論」の中で異色作として紹介されていたから。
なんでもライトノベルでは禁じ手とされる手法を高度に完成させた(そう書いてあった)らしい。
「ふーん、じゃあ読んでみようじゃないの」
というわけで本書である。
その禁じ手というのは、
① 登場人物が多い
② 一冊の本の中で視点となる登場人物が複数存在する
だそうだ。
普通じゃね?
①は登場人物が多くなると読み手の理解が追いつかなくなるかららしいが、書き手の腕次第だろうというのがボクの見解である。
長くなりそうなので感想を軽く述べると、まあ読むのに時間がかからない普通の本であった。
それなりに面白かったと言っても良い。
そんな本書を読み進める中で、
「おお!これがライトノベル的手法ってやつか!」
という部分に気が付いたので聞いてください。
文章を眺める限り、地の文と会話文がそれぞれ占める行数の割合はそれほど偏っていない。
お気づきだろうか。「行数の割合」が変わらないのだ。
驚いたことに本書では、段落のほぼ全てが一文で構成されているのである。
一段落一文。
一部ならともかく、本一冊全編通してこういう風に書かれた本は初めて見た。
そのため文章量が非常に少なく、ページの下半分が全体的に白いのである。
おそらく改行を一般的な小説並みにすると、会話文が占める割合がぐっと上がるだろう。
それに厚さが半分から三分の二くらいになる。
それもまあ、読みやすさを追求した故なのかもしれないが。
あと一点だけ。非常に気になったのは三点リーダ(……←これですね)の多用である。
とにかく会話中に三点リーダが多い。
いわゆる会話中の「間」を表現しているのだろうけど、ボクは三点リーダを使わずに読み手に伝えるのも書き手の腕だろう、と思ってしまう。
もちろん使うのは構わないが、あまりにも多用しすぎるのはなあ。
好みの問題なのかもしれないけれども。
さて、長々と語ってしまったが、本日の更新はこのあたりでお別れ。
あくまでも「バッカーノ!1705」の感想であって、ライトノベルとはこういうものだあ!と言っているわけではない点をご理解ください。