11/10/27 : 降水量 49 ml ~ 現役修士生が論文なしで修士号に思うこと

現在午前1時30分。明日も朝から実験が控えていることもあって寝たかったのだが、どうしても看過できないニュースが目に飛び込んできた。

大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査 (日本産経新聞)

具体的な中身についてはリンク先の記事を読んで欲しいのだが、中身を掻い摘むと、

博士課程進学予定者を中心に、大学院修士課程で修士論文を書かなくても卒業できる。すなわち修士号が得られる。その替わりに複数の研究室を渡り歩くようにし、広く知識を問う筆記試験やレポートを課すのだという。

企業が敬遠する専門バカを減らしたいという思惑があるようだが、正直これを言いだしたヒトは現場のことが何も分かっていないと言わざるを得ない。

ご存じのように大学院修士課程というのは基本的に2年で修了する(社会人と学生を両立している人はこの限りでないが、今回は本筋と関係が無いので無視させて下さい)。

そのなかで複数の研究室を渡り歩く。仮に4つの研究室を経るとして、1研究室当たり在籍は半年である。実際には一年中研究できるわけではないので、実質半年以下になるであろう。

当然だが研究室には研究室ごとのルールがあり、異なった備品が存在し、同じ実験であってもその手順が異なるのが普通である。

そんな状況で入ってきて半年以下でなにができるのか、甚だ疑問であると言わざるを得ない。

それどころか「専門バカを減らす」という目的から考えれば、渡り歩く研究室はかなり異なる分野であることが予想される。これではなおのこと何もできないうちに研究室を移ることになるだろう。

これはあくまでも個人的な見解だが、修士課程で学ぶべきは論理的思考であると思う(丁度、今日も研究室の先輩と話していたことで、この点に関しては共通の認識であった)。

過去の報告と自分の実験結果から仮説を立て、実証に必要な実験系を組み立てる。さらに得られた結果を解釈する。こういう論理的な考え方を学べることが修士課程の目的であり、意義であるように思うのだ。

一か所に半年程度では、このメリットは確実に失われてしまうだろう。研究を進めて行く上では、やはりそのテーマにおけるバックグラウンドの知識が少なからず必要になる(それが無くては何も考えられない)。

これでは「専門バカ」でなく「ただのバカ」が量産されてしまうだけではなかろうか?

正直に言ってしまえば、現行の制度でも修士号なんてものは修士課程入試にさえ受かってしまえば自動的に取得できてしまうのだ。

出来の悪い大学院生代表のようなボクに言われたくはないと思うが、「なんでこの人たち大学院にいるんだろう?」と思う人が少なからず存在するのである。仮にも旧帝の大学院であるにも関わらずだ。

ありえない数字のデータに疑問を抱かない。ずさんにも程がある実験ばかりしていて汚染ばかりしている。臨床検査技師という医療従事者でありながら感染管理に無頓着。

そんなヒトが思いつくだけで片手の指で数えきれないのが現状なのだ。

研究室に所属する人間がコロコロ変わるようでは、恐らく研究は進まないし、指導する側にも膨大な負担がかかるだろう。

そもそも教授や助教などのポストに座る人間を除いては指導できる人員もいなくなってしまう。全ての研究室がそうだとは言わないが、実際に手を動かしているのは博士修士の院生や助教であるケースが多いと思う。

その原因の一端となっているのが教授の抱える事務仕事の多さである。それが変わらず、サポートできる人員が大幅に減るのだ。教わる側にとってもこれが好材料であるはずがない。

そのあたりは博士課程でやるから、修士の間は見識を広めさない、ということなのだろうか。

収拾がつかなくなりそうなのでこの辺りで〆ることにしよう。

最後に一つだけ断っておかなくてはならないのは、これはあくまでも大学院修士課程に在籍する一大学院生の見解であり、すべてがこの限りではないこと。そしてボク自身決して出来が良いとは言えない大学院生であること、これは誤魔化しようのない事実である。

だが実際に今、修士課程にいる不出来な院生の生の意見である、というのもまた事実である。