12/08/20 : 降水量 55 ml ~ 沖縄へにいる友人へ

 拝啓。沖縄にいる友人の皆様。札幌はひどく蒸し暑いです。秋の気配がすぐそこ

まで迫ってきていたかと思いきや、いきなり夏に逆戻り。いや、むしろ本州の梅雨時

のようです。

 皆さん楽しみにしていた沖縄です。待ち望んだ南国を満喫されているでしょうか? 

カクテルにはパラソルが林立し、夜な夜なキンキンに冷えたオリオン麦酒で乾杯して

いるのでしょうね。大変に羨ましい。私はといえば連日仕事と学生実習の準備に

追われています。トロピカルなのは培地に生えた菌くらいだ! こんなのちっとも

楽しくない!

 皆さんがいない札幌はとても寂しい。仕事終わりに一杯だけ美味しい麦酒が飲み

たいな、と思っても誘う相手もおりません。その寂しさを紛らわそうと「エア沖縄なう」 と

呟いてみました。しかし皆さんはリアル沖縄にいるわけで、何の反応もない。だいたい

が札幌にいながら「沖縄なう」 などと呟くなんてどうかしているのだ。私だって隣で

見ていれば、

「現実を見ろ!」

 と言うだろう。私は稀代の阿呆であるが、気までふれてはいないはずである。しかし

現実を見れば、目の前に広がるのは積み上げられた書物と、異臭を放つ色彩豊かな

培地ばかり。そんな現実はイヤだ。断じて認めたくない!

 そういう思いからこの手紙をしたためているわけです。いわば現実的な現実逃避です。

 ええ、私は正気です。

 さて、呟きには一昨年の写真まで貼付ける手の込みようでしたが、一人でやっても

虚しさが増すばかりだ。精神衛生上も誠によろしくない。そういうわけで1日目にして

エア沖縄はやめてしまいました。

 なんだか沖縄もあまり天気がよろしくないようですね。ちょっと台風が近づいて来た

からといって、遥か2400kmも彼方にいる私のせいにしてはいけませんよ。いくら雨男の

名前を欲しいままにしている私でも、「エア沖縄なう」 と呟くだけで台風を呼び寄せたりは

できないはずです。それができるなら「サハラ砂漠なう」 と呟くだけで砂漠に恵みの雨を

もたらし、自宅にいながらにしてオイルマネーで億万長者だ。アフリカが遠すぎるなら、

「香川なう」と呟くだけで四国の水不足を解消し、香川県民に腹一杯のうどんを食べ

させることも可能です。あるいは気に入らない地域に水害を起こして人間兵器になる

こともできる。

 最終兵器おず。

 きっと米軍が放ってはおかないでしょう。そうなった場合はやはり1呟き1億円くらい

もらわねばなるまい。1円の費用もかけず、国際社会からの非難も受けずして秘密裏に

攻撃できる。韓国の戦車は雨が降ると走行できなくなるのですよ。つまり一国の軍隊を

無力化できるわけです。1億円くらい払っても良かろう、と思います。やはり億万長者だ。

うははは!

 広げた風呂敷が畳みきれなくなりつつありますが、強引に手紙を〆ようと思います。

南の海から台風などという困った渦巻きが近づいてきているようですが、負けては

いけません。私の腹は真っ黒ですが、身内には優しいのです。皆さんがシュノーケルを

咥えながら水面にぷかぷか浮かび、魚とちゃぷちゃぷできることを、遠く2400km彼方

から祈っております。

                                            早々頓首

                                  身内にはジェントルマン・おず

くらげになりたい友人へ

12/07/25 : 降水量 54 ml ~ 色内イワシ釣行

 僕は休憩の度に天気予報をチェックし、見慣れた傘マークを眺めてはうんうん

唸っていた。

 先月末から小樽港にイワシの群れが入ってきていた。

 そんな折に平日の休みをもらえたので、釣りに行く予定を立てたのである。しかし

例によって予報が雨になっていた。例によって例によってずっと晴れだった天気予報が、

例によって例によって例によって釣行の3日前くらいから曇りになり、例によって例に

よって例によって例によって前日にはばっちり雨に変わっていた。お約束である。

もはや驚かない。

「多少の雨なら強行するから!」

 そう宣言しての当日、外に出てみると雲間から星が覗くなかなかの天気。珍しい

こともあるものである。

 わいわいと夜も明け切らぬ札幌を出発し、小樽港色内埠頭に到着したのは午前4時

過ぎであった。平日であるにもかかわらず埠頭にはたくさんの車が停まり、目を付けて

いたポイントは釣り人でいっぱいであった。やむを得ず空いていた場所に入ったが、

全く釣れる気配がない。周りを見回してみると一等地の角だけが入れ食い状態で、

それ以外はときどき単発で釣れる程度。角から離れれば離れるほど釣果は乏しい

模様である。僕らは撒き餌を撒き撒き、買い込んできた自分達用の餌を胃に納めた。

 それにしても良い天気である。釣り場に到着したのが日の出とほぼ同時刻。既に

周りは十分に明るかったが、程なくして正面から橙色の太陽が上り、剥き出しになった

僕らの腕や首筋をじりじりと焼いた。いつまでたってもピクリともしない竿先を見つめ、

僕はじりじりと焦れた。既に同行者は隣で座ったまま寝ている。彼はここへ来るまで

一睡もしなかったという。

「なんたることか!」

 ついに僕は痺れを切らし、やや遠い場所も含めて他の釣り人の釣果を見て回った。

そして良い場所を見つけたのである。彼らは僕が見ている前で次々にイワシを釣り

上げた。しかもその隣が空いていて、聞けば入って良いという。いそいそと荷物を

まとめ、移動を済ませたときには8時を過ぎていた。釣り始めて4時間も経っていたが、

今のところ人が釣った魚以外は1匹も目にしていない。がるるっと結果に餓えて釣り糸

を垂らして30分、先ほど寝ていた同行者に今日1匹目のイワシが釣れた。20センチ近い

なかなかの良型である。その後、飽きない程度にぽつらぽつらと釣れ続け、納竿した

10時30までに44匹のイワシを釣ることが出来た。数こそ去年より少ないものの、

サイズは一様に大きい。針の大きさは6から7号で十分なほどである。結局2時間で

一人10数匹の釣果であった。サビキ釣りであることを考えると、やや物足りない数字

ではある。けれど捌くことを考えれば妥当なところであった。

 僕はほとんど寝ずに釣行から帰り、洗うものだけ洗って歯医者へ行き、居眠りをし、

美人の歯科衛生士ときゃっきゃうふふしたあとに39匹のイワシを捌いた。大活躍である。

八面六臂といっても良い。誰も言ってくれないから自分で言う。

 鮮度抜群のイワシ達はほんの一部がイワシフライになり、大半がオイルサーディン

になった。非常に美味い。麦酒との相性も抜群。これだから釣りは辞められないのである。

12/05/31 : 降水量 53 ml ~ 岡山滞在紀 2/2

(これは昨日の続きになります。まだお読みでない方はhttp://rainbringer32.blog18.fc2.com/blog-entry-59.htmlからどうぞ。)

 駆け足で倉敷観光を終え、宿泊しているホテルに戻ってきたのは午後一時を少し

回ったところであった。ちょうどこのとき、ボクが宿泊している十二階のフロアは清掃の

真っ最中であった。ドアというドアが半開きになっていて、清掃員のオバチャンが出たり

入ったりしている。他でもない自分の部屋もやはりドアが開いていた。普通ならこんな

時間に部屋に出入りはしないのだが、ボクは学会会場へ行くため、どうしてもスーツに

着替える必要があったのである。こそっと覗いてみると、ベッドカバーや布団が半分

剥ぎ取られているものの、現在部屋の中には誰もいない様子である。チャ~ンス! 

とばかりに部屋に忍び込み(自分の部屋なんだけど)掛けてあったスーツを手に

取った。ここで気をつけるべくは着替える順番である。下手にパンツ一丁で立っている

ところに、オバチャンが戻ってきたらそれほど気まずいこともない。そこでまずはシャツを

脱ぎ、シャツを着てネクタイを締めた。まだオバチャンが戻ってくる気配はない。ここまで

は非常に順調、文句のつけようのない展開であった。しかし半分開いたドアから廊下の

様子を伺いつつ、ジーンズを脱いだその時である。けたたましい警報が頭上から

降り注いだ。続いて、

「火事です。火事です」

 という妙に落ち着きはらったアナウンスが流れる。この時点でボクの頭は軽く混乱を

きたしていたのだが、続いて流れた放送がさらに追い打ちをかけることとなる。

「ただいま、十二階で火災が発生致しました。建物内にいる方は落ち着いて非常階段

から避難してください」

 思い出して欲しい。十二階といえばボクが宿泊しているフロアで、ボクが滞在している

フロアといえば十二階なのである。途端に廊下が騒がしくなり、ばたばたと人が走り回る

気配がする。

「いかーん!」

 そばにあった鞄を引っ掴み、ボクも避難しようとした矢先、目の前にある姿見が目に

入った。そこに映っていたのはYシャツにネクタイを締め、下半身パンツ一丁に靴下と

スリッパという変態チックな男であった。幾ら非常事態とはいえ、こんな恰好で岡山駅前

に飛び出せば警察官に連れて行かれそうな気がする。まだ学会発表も終えていない

のに、警察につかまったりしたら岡山までなにをしにきたのかわからない。

「いかーん!」

 一度は外へ向かいかけた足を止め、まずはスーツのズボンを穿く。ここだけの話だが、

こうしてズボンを穿くまでにドアの前と部屋の中を数往復している。まさにパニックを起こ

した人間の典型である。ところが右往左往しているうちに、混乱していた頭が少しだけ

冷静さを取り戻してきた。ボクが泊まっていたのは全国展開しているホテルチェーンで、

確かに背の高い建物ではあったものの、フロア自体の部屋数はそれほど多くない。

同じ十二階で火が出れば、それは目と鼻の先であるはずなのである。だのに廊下に

顔を出してみても、煙も見えなければ焦げた臭いもしない。しかもいつの間にか

火災警報も止んでいた。これはやっぱり変である。ボクは落ち着きを取り戻すと、

しっかりと皮靴の紐を締めてから、トランクをガラガラごろごろ言わせて部屋を出た。

このときにはもう、

「一応避難してみっか。燃えたらヤだし」

 程度の気分であった。ドアの内側にある避難経路を見て、廊下をほんのちょっと

歩いたところで、再び館内放送が流れた。

「先ほどの火災警報は誤作動です。火事ではありません」

 すれ違う掃除のオバチャンに謝られながら、ボクは一度部屋に戻って不要な荷物を

置き、改めて学会会場へと向かった。

「やっぱりね」

 内心ではそう思う反面、あのときパンツ一丁で外に飛び出さなくて本当に良かったと、

ホッと胸を撫で下ろすのだった。

 こうしてボクがどこかへ出かける度にトラブルが舞い込んでくるから困ってしまう。

例えるならボクは街頭で、トラブルが夏の虫である。まあ、おかげで書くネタには困らな

いんだけどさ。なんか釈然としないのよね。

(オワリ)

12/05/30 : 降水量 52 ml ~ 岡山滞在紀 1/2

 すでに半年も前のことになるが、ボクは学会に参加するために岡山市を訪れていた。

 半年! 自分で書いて自分で驚いてしまった。つい先日のように思い出せる、あの

岡山滞在から六カ月も経つなんて。六か月と言えば約180日である。180日あれば

二十日大根が九回も収穫できてしまうではないか。そうなれば二十日大根長者だって

夢ではない(夢だっつーの)。

 いつの間にやら二十日大根の話になってしまったが、早い段階で軌道を修正しよう。

今から遡ること半年前、ボクは岡山にいたのである。

 岡山は遠い。とにかく遠い。ボクが岡山を訪れたのは、秋も深まってきた十一月の

ことであったのだが、時期もあまり良くなかったのだ。新千歳空港岡山空港を結ぶ

直行便があるのは、いわゆる観光シーズンだけ。それ以外の季節に札幌から岡山を

目指すと、どこか他の飛行機に乗り換えるか、新幹線などに乗り換えてばならない。

はっきり言って不便である。

 結局、行きは神戸空港から新幹線、帰りは羽田で飛行機を乗り継ぎという予想以上

にハードな移動になってしまった。移動だけで一日がかりである。

 さて、小さなトランクをガラガラと引いて、岡山駅に降り立ったボクを迎えたのは、

明日から参加する学会のでっかいポスターであった。岡山らしく桃太郎が「でーん」

とデザインされている。捻りが無いと言えばその通りだが、数年前に札幌で行われた

ときはそこにクラーク像が鎮座していたのだから、あまり人のことは言えない。

 最早言うまでもないことであるが、ボクの滞在中、岡山はずっと雨模様だった。

ボクがどこかへ出かければ雨が降るのは、コップを逆さにすれば水がこぼれるとか、

食べ物を置いておけば腐るとか、中国が爆発するといったような自然の摂理に近い

ものがある。だから仕方ないのである。ちなみに全四日に渡った岡山滞在の間、

初日と最終日だけはなかなか良い天気であった。ちなみにちなみに初日は着いたら

あとは寝るだけで、最終日は朝一番で発表を終えてあとは札幌に帰るだけ。

「せっかくだから観光してやるもんね」

 などと考えていた中二日は遊びなく雨であった。これもまあ、いつものことである。

 ところで今回の滞在中、ちょっと変わった事態に遭遇した。

 岡山滞在二日目のことである。この日は小雨こそ降ったりやんだりしているものの、

傘さえさせば出歩けないほどではなかった。聞きたかった教育講演まで随分と時間が

あったので、その時間を利用してボクは倉敷を訪れていた。倉敷までは岡山から

普通列車で十八分と非常に近い。倉敷駅の近くには美観地区という古い街並みが

残った観光スポットと、モネの「睡蓮」やエル・グレコの「受胎告知」が展示されて

いる大原美術館がある。まず訪れる機会のなさそうな岡山にせっかく滞在している

のだから、それくらい見なくては札幌に帰れないわ! というわけで、ボクは早起き

して倉敷行普通列車に乗り込んだわけである。

(続く)

12/05/27 : 降水量 51 ml ~ アゼルバイジャンより愛を込めて

 拝啓。暑かったり寒かったりと、安定しない天気が続きます。巷では治るのに

二週間を要するという厄介な風邪が流行ったりもしておりますが、皆さん体調は

いかが?

 あっという間に五月も末になり、六月の背中がすぐ目の前。手を伸ばせば

毛むくじゃらの尻尾くらいは掴めそうです。嫌だ嫌だと言いながらも、働きはじめて

二ヶ月が経ちました。日々の仕事に楽しみを見出だせている人々は本当に凄い。

私はひとつも楽しくありません。必死になって目の前の仕事と殴り合いの死闘を

繰り広げ、失敗してはべこべこに凹み、業務後は教科書や論文をちくちくとつつき

回すうちに一日は終わります。楽しみなどどこにもない。働く喜びとはどこにある

のか! 隠れてないで出てこい! 市中引き回しの上、打ち首にしてくれるっ!

 取り乱しました。すみません。

 こんな厚顔不遜で生意気で、身の程知らずの私にも、検査室の先輩方は

皆さん大変優しい(全部似たような意味ですね。三重表現かしらん?)。物覚えの

悪い私に仕事を何度も教えてくれます。懇切丁寧。中には私を玩具にしてくる先輩

もいますが、別に嫌ではありません。それはそれで楽しいですよ。

「研究で成果を残し、いつか一旗掲げてやるのだ!」

 そんな野望を内に秘め、ときにだだ漏らしながら忙しい日々を送っております。

 そういえば昨晩はおかしな夢を見ました。ついに仕事が嫌になってしまった私は、

ろくに荷物も持たずふらふらと家を出たのです。特にどこへ行こうと決めてあった

わけではありません。自分自身、

「どこへ行くのかしらん?」

 などと考えていた節すらありました。自分の足で歩いているのに、暢気なものです。

そんな私は列車に乗り、気付けば見たこともない街角に立っておりました。背後の

建物には、

アゼルバイジャン

 の文字。思い返せば飛行機に乗ったような気もする。アゼルバイジャンという国の

ことはよくわからないけれど、恐らく公用語に片仮名は含まれまい。何しろどこに

あるのかも知らない国であるからして、その街並はヨーロッパと中近東と、昔行った

熱海を足して割ったような、それはもうごった煮的なものでした。しかし驚いたことに、

そんな見知らぬ土地で私を迎えに来てくれる人がいたのです。彼は小学生のころ

から付き合いのある友人でした。北海道のスーパー田舎(本人談)で教師をして

いるはずの彼がなぜここに? という疑問は、夢の中では浮かばない。その上

彼が借りているという部屋に案内されてみると、そこは子供のころから何度も行った

祖父母の家そのもので、私をさらに困惑の淵へと突き落とす。月日を経てぺらぺらに

なった座布団の上に胡座をかき、一応家にだけ連絡をしようとするのだが、

「そういえば携帯を海外で使えるよう手続きをしてこなかった」

 とか考える。これだけ支離滅裂な夢の中で、妙に現実的なところが私らしいと

いえば私らしい。結局、

「二、三日で帰るから。え? 今どこかって? アゼルバイジャン

 というとても異国の地からするとは思えない連絡を、ネットを介して入れたのでした。

 その後は隣の部屋に住むという漫画好きのアゼルバイジャン人青年と仲良くなり、

「俺は日本代表の選手だから、今度の遠征のときに日本の漫画を買ってきてあげる」

 などとうそぶき、夢はさらに混迷を極めていく。

 朝を迎えて目覚めた私は、ああ夢だったのかと思いつつ、あまり逃げ出したいと

考えるものでもないな、などと半分眠ったままの頭で考えるのでした。

 つかの間の休日ももう終わり。もう一晩眠れば、明日からはまた仕事が始まります。

本当にふらりとアゼルバイジャンへ行ってしまわないよう、しっかり頑張らねば。

 早々頓首

 社会人選手権二ラウンドKO寸前の私より

                      社会人選手権フェザー級チャンピオンの皆さんへ

 追伸

 アゼルバイジャンとはトルコのすぐ東に位置する国のようです。区分的には

西アジアだとか。いつか行ってみたいものですね。

12/03/11 : 降水量 50 ml ~ 三枚目の魅力

 グリッソムが辞めた。

 いきなりなんのこっちゃわからないかもしれないが、CSIという海外ドラマの

話である。放送されるやいなやアメリカでは社会現象となり、科学捜査班の

名称がCSIに変更までされてしまった人気ドラマなのでご存知の方が多いだろう。

現在AXNというケーブルテレビ局ではシーズン9が放送中なのだが、シーズン1

からチームのボスを務めてきたギル・グリッソムが昨シーズンを最後に辞めて

しまったのである。

 CSIには別のシリーズが二つあって、それぞれネバダ州、フロリダ州

ニューヨーク州を舞台にしている。フロリダでチームを率いるのは元爆発物処理班の

ホレイショ・ケイン。ニューヨークでは元海兵隊のマック・テイラーである。二人は

まさにアメリカン・ヒーローの王道を地で行く人物だ。銃を手にし、危険の中に

真っ先に飛び込んで行く。強く、格好良く、女性にモテる。この中でグリッソムは

他の2シリーズの主人公とはやや趣が異なる。彼は昆虫を専門とする科学者で

どちらかといえば冴えなく、変人の気がある。想ってくれる女性もいるが他の

二人ほどではない。腕っ節は強くないし、8シーズンの中でも銃を撃っている

ところはほとんど記憶にない。それでもボクはグリッソムが好きだったし、

他にもそういう人は沢山いたはずだ。でなければ人気シリーズで8年にも渡って

主演を務めることなんてできないだろう。

 ボクにはグリッソムが愛されるのと、大泉洋が愛されるのは根本が同じである

ように思えてならない。確かにホレイショもマックも格好いいし、嵐の松潤も小泉

孝太郎も格好いい。それは間違いない。けれど世間一般の大多数の人間は

ホレイショや松潤にはなれない。もちろんグリッソムにも大泉洋にもなれない

のだが、どちらかと言えば彼らの方に親近感を感じるはずである。この頑張れば

なれそうかな、というところも彼らの魅力の一つである。そして、

「普段は冴えないのに実は凄い」

「いつもは情けないけど、いざというときはやる」

 そういうところに、

「実は俺だってやるときゃやるのだ!」

 と、ボクを始めとするあまり冴えない一般人は感情移入しやすいと思うのだが、

皆さんいかがだろうか。

(オワリ)

11/10/27 : 降水量 49 ml ~ 現役修士生が論文なしで修士号に思うこと

現在午前1時30分。明日も朝から実験が控えていることもあって寝たかったのだが、どうしても看過できないニュースが目に飛び込んできた。

大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査 (日本産経新聞)

具体的な中身についてはリンク先の記事を読んで欲しいのだが、中身を掻い摘むと、

博士課程進学予定者を中心に、大学院修士課程で修士論文を書かなくても卒業できる。すなわち修士号が得られる。その替わりに複数の研究室を渡り歩くようにし、広く知識を問う筆記試験やレポートを課すのだという。

企業が敬遠する専門バカを減らしたいという思惑があるようだが、正直これを言いだしたヒトは現場のことが何も分かっていないと言わざるを得ない。

ご存じのように大学院修士課程というのは基本的に2年で修了する(社会人と学生を両立している人はこの限りでないが、今回は本筋と関係が無いので無視させて下さい)。

そのなかで複数の研究室を渡り歩く。仮に4つの研究室を経るとして、1研究室当たり在籍は半年である。実際には一年中研究できるわけではないので、実質半年以下になるであろう。

当然だが研究室には研究室ごとのルールがあり、異なった備品が存在し、同じ実験であってもその手順が異なるのが普通である。

そんな状況で入ってきて半年以下でなにができるのか、甚だ疑問であると言わざるを得ない。

それどころか「専門バカを減らす」という目的から考えれば、渡り歩く研究室はかなり異なる分野であることが予想される。これではなおのこと何もできないうちに研究室を移ることになるだろう。

これはあくまでも個人的な見解だが、修士課程で学ぶべきは論理的思考であると思う(丁度、今日も研究室の先輩と話していたことで、この点に関しては共通の認識であった)。

過去の報告と自分の実験結果から仮説を立て、実証に必要な実験系を組み立てる。さらに得られた結果を解釈する。こういう論理的な考え方を学べることが修士課程の目的であり、意義であるように思うのだ。

一か所に半年程度では、このメリットは確実に失われてしまうだろう。研究を進めて行く上では、やはりそのテーマにおけるバックグラウンドの知識が少なからず必要になる(それが無くては何も考えられない)。

これでは「専門バカ」でなく「ただのバカ」が量産されてしまうだけではなかろうか?

正直に言ってしまえば、現行の制度でも修士号なんてものは修士課程入試にさえ受かってしまえば自動的に取得できてしまうのだ。

出来の悪い大学院生代表のようなボクに言われたくはないと思うが、「なんでこの人たち大学院にいるんだろう?」と思う人が少なからず存在するのである。仮にも旧帝の大学院であるにも関わらずだ。

ありえない数字のデータに疑問を抱かない。ずさんにも程がある実験ばかりしていて汚染ばかりしている。臨床検査技師という医療従事者でありながら感染管理に無頓着。

そんなヒトが思いつくだけで片手の指で数えきれないのが現状なのだ。

研究室に所属する人間がコロコロ変わるようでは、恐らく研究は進まないし、指導する側にも膨大な負担がかかるだろう。

そもそも教授や助教などのポストに座る人間を除いては指導できる人員もいなくなってしまう。全ての研究室がそうだとは言わないが、実際に手を動かしているのは博士修士の院生や助教であるケースが多いと思う。

その原因の一端となっているのが教授の抱える事務仕事の多さである。それが変わらず、サポートできる人員が大幅に減るのだ。教わる側にとってもこれが好材料であるはずがない。

そのあたりは博士課程でやるから、修士の間は見識を広めさない、ということなのだろうか。

収拾がつかなくなりそうなのでこの辺りで〆ることにしよう。

最後に一つだけ断っておかなくてはならないのは、これはあくまでも大学院修士課程に在籍する一大学院生の見解であり、すべてがこの限りではないこと。そしてボク自身決して出来が良いとは言えない大学院生であること、これは誤魔化しようのない事実である。

だが実際に今、修士課程にいる不出来な院生の生の意見である、というのもまた事実である。