降水量58mL~2014年初釣行. 石狩湾新港沖防波堤

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あれよあれよと言う間に、最後の更新から1年以上の月日が経過してしまった。世界北限の

100万都市、札幌にも春が来て夏が過ぎて秋が終わり、冬を越えてまた春が来てしまいました。

その間にボクは所帯を持ち、職場には後輩を迎え、その割りには相変わらず仕事のできない

社会人として日々を過ごしておりました。全日本社会人余裕のない人間の部北海道代表の

私としては休日を体力の回復に充てるより他なく、なかなか釣りに行けない状況が続いて

いたのですが、ようやく釣りに行けました。

2014年釣りはじめは石狩湾沖防波堤。実に2年振りに電話を掛けたのに、little bay和田船長は

ボクのことを覚えていてくれました。ありがたいことです。イマイチ天気がパッとしない

連休において、唯一の好天予報日ということで渡し舟は大盛況。3回(もしかすると4回)

に分けての渡しとなった。ボクは第1便に乗り損ねてしまい、そわそわと丘で30分待ち、

やっとの思いでステージへと乗り込んだ。

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ブラーにイソメをつけて足元を探っていた親父がまずまずのサイズをしたガヤを立て続けにHIT。

しかし今回は煮付けにするのが面倒なのでリリース。そうこうするうちに日が暮れ、

待ちに待ったりソイタイム! ワームがパッとしないのでイソメを切り替えて数投目、ガツンとした

あたりがあり、慎重に巻き上げると上がってきたのは27cmのクロゾイでした。

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その後、クロゾイをもう1尾追加し、ここでイソメ切れ。再びワームに切り替えてひたすら

キャスティングを繰り返す。数m先の海底にストラクチャーがあるらしく、根掛かりがとても

激しかった。次々とリグをロストしてしまい、グロー系統のワームを切らしてしまう。止むを得ず

3/8ozのジグヘッドにエコギアグラスミノーL ナチュラルゴールドを選択し、キャストから

フリーフォール。1度ボトムまで沈めてからのスローリトリーブ中にあたりがあり、

上がってきたのはぎりぎり20cmあるかないかのクロゾイでした。小さいのでこちらはリリース。

楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまい、帰りの船が迎えに来る時間。我々は吹きっさらしで

冷え込んだ沖防波堤を後にし、ガクガクと震えながらの帰宅となりました。全体的には

渋い釣果でしたが、久しぶりの感触にワクワクしてしまいました。

一夜明けて、これまた1年以上ぶりに出刃包丁を手にし、3枚下ろしに挑戦。上手に皮まで引いて、

お刺身とあら汁のお昼ご飯。脂が乗っていて美味い美味い。

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さあ! 今年はもっと釣りに行きますよう!

13/03/25 : 降水量 57 ml 卒業する友人への手紙

 拝啓。あっという間に年度末。私は度々の飲み会で胃の調子がよろしくないのですが、

皆さんは如何?

 今からちょうど1年前、私は皆の笑顔に送られて大学院を卒業しました。出て行く人間より

残る方が多く、後ろ髪を引かれる思いで社会人としての一歩を踏み出したのでした。

私の毛根がもう少し軟弱だったら、後頭部に大きなハゲができたことでしょう。本来であれば

1年先輩という立場で余裕を持ち、

「良く来たな!」

 なんてコーラの一気飲みでも披露すべきところなのだろうが、一向にそんな気分にはならない。

 実は先日、研究室に置いてあった三脚を回収しに行ったついでに、皆が荷物を引き上げた

院生室を覗いてきました。机すらもなくなった部屋は広かった。がらんとした部屋に一人で

立っていると、この院生室に引っ越したのことが脳裏に浮かびました。あの日も部屋は空っぽ

でした。床を洗い、窓を拭き、洗面台を磨いて机を運ぶ。これから始まる日々が楽しみで仕方

なかった。そして事実楽しすぎる時間が私を待っていたのです。あの時、同じ面積なのに広さを

感じなかったのは、きっと一人ではなかったからでしょう。もう仕事帰りに大学に寄っても、

笑い転げて過ごした院生室はないのだ。そう思うと寂しくてなりません。

「バッカだなあ。その年で変化を嫌ってどーすんの」

 そう言ったのはハチミツとクローバーの花本先生でした。友達がみんな卒業していって、

それでもあまり日常が変わらず、ホッとしたと笑う竹本くんに先生がかけた言葉です。

ずっと変わらずにはいられない、そんなことは重々承知していますが、それでもこの日々が続けば

と願ってしまうのです。

 就職して1年、忙しいと言い訳をしながらずいぶん多くの時間を無駄にしてきました。もっと

勉強する時間があったはずです。今のままではこの先皆と再会したとき、胸を張って笑えない。

いつの日か、何か一緒に仕事ができるように、それに相応しい実力を着けるべく頑張ります。

                                      早々頓首

社会へ旅立つ友人たちへ

                               社会でつまずく友人より

追伸

忘れるところでしたが、卒業おめでとうございます。

皆のこれからの人生が順風満帆でありますように。

12/11/25 : 降水量 56 ml

オズ氏は覚悟した。いよいよ、この実家を出なくてはならぬ。

オズ氏は料理が出来ぬ。オズ氏は、ただの凡人である。

ごろごろと、だらけきって生活してきた。けれども限界が来てしまった。

最近我が家にかかってきた電話を取ると、

「まだいたの?」

と言われることが多かった。皆、オズ氏が職場の傍に部屋を借りた事を知っているのである。

先だっても妹が電話してきて、

「なんでいるの?」

と言う。面倒なのだと答えると、

「もったいないじゃん」

と言われてしまった。あまりにも正論。正しすぎて兄は何も言うことができなかった。

妹よ、あまり兄を苛めてはいけない。こういう真面目で、大人しい人間が追い詰められて逃げ場がなくなった挙句、信金に立て籠もったりするのだ。そうなってはお前も困るだろう?

兎にも角にも、そういうわけで引っ越しました。

12/08/20 : 降水量 55 ml ~ 沖縄へにいる友人へ

 拝啓。沖縄にいる友人の皆様。札幌はひどく蒸し暑いです。秋の気配がすぐそこ

まで迫ってきていたかと思いきや、いきなり夏に逆戻り。いや、むしろ本州の梅雨時

のようです。

 皆さん楽しみにしていた沖縄です。待ち望んだ南国を満喫されているでしょうか? 

カクテルにはパラソルが林立し、夜な夜なキンキンに冷えたオリオン麦酒で乾杯して

いるのでしょうね。大変に羨ましい。私はといえば連日仕事と学生実習の準備に

追われています。トロピカルなのは培地に生えた菌くらいだ! こんなのちっとも

楽しくない!

 皆さんがいない札幌はとても寂しい。仕事終わりに一杯だけ美味しい麦酒が飲み

たいな、と思っても誘う相手もおりません。その寂しさを紛らわそうと「エア沖縄なう」 と

呟いてみました。しかし皆さんはリアル沖縄にいるわけで、何の反応もない。だいたい

が札幌にいながら「沖縄なう」 などと呟くなんてどうかしているのだ。私だって隣で

見ていれば、

「現実を見ろ!」

 と言うだろう。私は稀代の阿呆であるが、気までふれてはいないはずである。しかし

現実を見れば、目の前に広がるのは積み上げられた書物と、異臭を放つ色彩豊かな

培地ばかり。そんな現実はイヤだ。断じて認めたくない!

 そういう思いからこの手紙をしたためているわけです。いわば現実的な現実逃避です。

 ええ、私は正気です。

 さて、呟きには一昨年の写真まで貼付ける手の込みようでしたが、一人でやっても

虚しさが増すばかりだ。精神衛生上も誠によろしくない。そういうわけで1日目にして

エア沖縄はやめてしまいました。

 なんだか沖縄もあまり天気がよろしくないようですね。ちょっと台風が近づいて来た

からといって、遥か2400kmも彼方にいる私のせいにしてはいけませんよ。いくら雨男の

名前を欲しいままにしている私でも、「エア沖縄なう」 と呟くだけで台風を呼び寄せたりは

できないはずです。それができるなら「サハラ砂漠なう」 と呟くだけで砂漠に恵みの雨を

もたらし、自宅にいながらにしてオイルマネーで億万長者だ。アフリカが遠すぎるなら、

「香川なう」と呟くだけで四国の水不足を解消し、香川県民に腹一杯のうどんを食べ

させることも可能です。あるいは気に入らない地域に水害を起こして人間兵器になる

こともできる。

 最終兵器おず。

 きっと米軍が放ってはおかないでしょう。そうなった場合はやはり1呟き1億円くらい

もらわねばなるまい。1円の費用もかけず、国際社会からの非難も受けずして秘密裏に

攻撃できる。韓国の戦車は雨が降ると走行できなくなるのですよ。つまり一国の軍隊を

無力化できるわけです。1億円くらい払っても良かろう、と思います。やはり億万長者だ。

うははは!

 広げた風呂敷が畳みきれなくなりつつありますが、強引に手紙を〆ようと思います。

南の海から台風などという困った渦巻きが近づいてきているようですが、負けては

いけません。私の腹は真っ黒ですが、身内には優しいのです。皆さんがシュノーケルを

咥えながら水面にぷかぷか浮かび、魚とちゃぷちゃぷできることを、遠く2400km彼方

から祈っております。

                                            早々頓首

                                  身内にはジェントルマン・おず

くらげになりたい友人へ

12/07/25 : 降水量 54 ml ~ 色内イワシ釣行

 僕は休憩の度に天気予報をチェックし、見慣れた傘マークを眺めてはうんうん

唸っていた。

 先月末から小樽港にイワシの群れが入ってきていた。

 そんな折に平日の休みをもらえたので、釣りに行く予定を立てたのである。しかし

例によって予報が雨になっていた。例によって例によってずっと晴れだった天気予報が、

例によって例によって例によって釣行の3日前くらいから曇りになり、例によって例に

よって例によって例によって前日にはばっちり雨に変わっていた。お約束である。

もはや驚かない。

「多少の雨なら強行するから!」

 そう宣言しての当日、外に出てみると雲間から星が覗くなかなかの天気。珍しい

こともあるものである。

 わいわいと夜も明け切らぬ札幌を出発し、小樽港色内埠頭に到着したのは午前4時

過ぎであった。平日であるにもかかわらず埠頭にはたくさんの車が停まり、目を付けて

いたポイントは釣り人でいっぱいであった。やむを得ず空いていた場所に入ったが、

全く釣れる気配がない。周りを見回してみると一等地の角だけが入れ食い状態で、

それ以外はときどき単発で釣れる程度。角から離れれば離れるほど釣果は乏しい

模様である。僕らは撒き餌を撒き撒き、買い込んできた自分達用の餌を胃に納めた。

 それにしても良い天気である。釣り場に到着したのが日の出とほぼ同時刻。既に

周りは十分に明るかったが、程なくして正面から橙色の太陽が上り、剥き出しになった

僕らの腕や首筋をじりじりと焼いた。いつまでたってもピクリともしない竿先を見つめ、

僕はじりじりと焦れた。既に同行者は隣で座ったまま寝ている。彼はここへ来るまで

一睡もしなかったという。

「なんたることか!」

 ついに僕は痺れを切らし、やや遠い場所も含めて他の釣り人の釣果を見て回った。

そして良い場所を見つけたのである。彼らは僕が見ている前で次々にイワシを釣り

上げた。しかもその隣が空いていて、聞けば入って良いという。いそいそと荷物を

まとめ、移動を済ませたときには8時を過ぎていた。釣り始めて4時間も経っていたが、

今のところ人が釣った魚以外は1匹も目にしていない。がるるっと結果に餓えて釣り糸

を垂らして30分、先ほど寝ていた同行者に今日1匹目のイワシが釣れた。20センチ近い

なかなかの良型である。その後、飽きない程度にぽつらぽつらと釣れ続け、納竿した

10時30までに44匹のイワシを釣ることが出来た。数こそ去年より少ないものの、

サイズは一様に大きい。針の大きさは6から7号で十分なほどである。結局2時間で

一人10数匹の釣果であった。サビキ釣りであることを考えると、やや物足りない数字

ではある。けれど捌くことを考えれば妥当なところであった。

 僕はほとんど寝ずに釣行から帰り、洗うものだけ洗って歯医者へ行き、居眠りをし、

美人の歯科衛生士ときゃっきゃうふふしたあとに39匹のイワシを捌いた。大活躍である。

八面六臂といっても良い。誰も言ってくれないから自分で言う。

 鮮度抜群のイワシ達はほんの一部がイワシフライになり、大半がオイルサーディン

になった。非常に美味い。麦酒との相性も抜群。これだから釣りは辞められないのである。

12/05/31 : 降水量 53 ml ~ 岡山滞在紀 2/2

(これは昨日の続きになります。まだお読みでない方はhttp://rainbringer32.blog18.fc2.com/blog-entry-59.htmlからどうぞ。)

 駆け足で倉敷観光を終え、宿泊しているホテルに戻ってきたのは午後一時を少し

回ったところであった。ちょうどこのとき、ボクが宿泊している十二階のフロアは清掃の

真っ最中であった。ドアというドアが半開きになっていて、清掃員のオバチャンが出たり

入ったりしている。他でもない自分の部屋もやはりドアが開いていた。普通ならこんな

時間に部屋に出入りはしないのだが、ボクは学会会場へ行くため、どうしてもスーツに

着替える必要があったのである。こそっと覗いてみると、ベッドカバーや布団が半分

剥ぎ取られているものの、現在部屋の中には誰もいない様子である。チャ~ンス! 

とばかりに部屋に忍び込み(自分の部屋なんだけど)掛けてあったスーツを手に

取った。ここで気をつけるべくは着替える順番である。下手にパンツ一丁で立っている

ところに、オバチャンが戻ってきたらそれほど気まずいこともない。そこでまずはシャツを

脱ぎ、シャツを着てネクタイを締めた。まだオバチャンが戻ってくる気配はない。ここまで

は非常に順調、文句のつけようのない展開であった。しかし半分開いたドアから廊下の

様子を伺いつつ、ジーンズを脱いだその時である。けたたましい警報が頭上から

降り注いだ。続いて、

「火事です。火事です」

 という妙に落ち着きはらったアナウンスが流れる。この時点でボクの頭は軽く混乱を

きたしていたのだが、続いて流れた放送がさらに追い打ちをかけることとなる。

「ただいま、十二階で火災が発生致しました。建物内にいる方は落ち着いて非常階段

から避難してください」

 思い出して欲しい。十二階といえばボクが宿泊しているフロアで、ボクが滞在している

フロアといえば十二階なのである。途端に廊下が騒がしくなり、ばたばたと人が走り回る

気配がする。

「いかーん!」

 そばにあった鞄を引っ掴み、ボクも避難しようとした矢先、目の前にある姿見が目に

入った。そこに映っていたのはYシャツにネクタイを締め、下半身パンツ一丁に靴下と

スリッパという変態チックな男であった。幾ら非常事態とはいえ、こんな恰好で岡山駅前

に飛び出せば警察官に連れて行かれそうな気がする。まだ学会発表も終えていない

のに、警察につかまったりしたら岡山までなにをしにきたのかわからない。

「いかーん!」

 一度は外へ向かいかけた足を止め、まずはスーツのズボンを穿く。ここだけの話だが、

こうしてズボンを穿くまでにドアの前と部屋の中を数往復している。まさにパニックを起こ

した人間の典型である。ところが右往左往しているうちに、混乱していた頭が少しだけ

冷静さを取り戻してきた。ボクが泊まっていたのは全国展開しているホテルチェーンで、

確かに背の高い建物ではあったものの、フロア自体の部屋数はそれほど多くない。

同じ十二階で火が出れば、それは目と鼻の先であるはずなのである。だのに廊下に

顔を出してみても、煙も見えなければ焦げた臭いもしない。しかもいつの間にか

火災警報も止んでいた。これはやっぱり変である。ボクは落ち着きを取り戻すと、

しっかりと皮靴の紐を締めてから、トランクをガラガラごろごろ言わせて部屋を出た。

このときにはもう、

「一応避難してみっか。燃えたらヤだし」

 程度の気分であった。ドアの内側にある避難経路を見て、廊下をほんのちょっと

歩いたところで、再び館内放送が流れた。

「先ほどの火災警報は誤作動です。火事ではありません」

 すれ違う掃除のオバチャンに謝られながら、ボクは一度部屋に戻って不要な荷物を

置き、改めて学会会場へと向かった。

「やっぱりね」

 内心ではそう思う反面、あのときパンツ一丁で外に飛び出さなくて本当に良かったと、

ホッと胸を撫で下ろすのだった。

 こうしてボクがどこかへ出かける度にトラブルが舞い込んでくるから困ってしまう。

例えるならボクは街頭で、トラブルが夏の虫である。まあ、おかげで書くネタには困らな

いんだけどさ。なんか釈然としないのよね。

(オワリ)

12/05/30 : 降水量 52 ml ~ 岡山滞在紀 1/2

 すでに半年も前のことになるが、ボクは学会に参加するために岡山市を訪れていた。

 半年! 自分で書いて自分で驚いてしまった。つい先日のように思い出せる、あの

岡山滞在から六カ月も経つなんて。六か月と言えば約180日である。180日あれば

二十日大根が九回も収穫できてしまうではないか。そうなれば二十日大根長者だって

夢ではない(夢だっつーの)。

 いつの間にやら二十日大根の話になってしまったが、早い段階で軌道を修正しよう。

今から遡ること半年前、ボクは岡山にいたのである。

 岡山は遠い。とにかく遠い。ボクが岡山を訪れたのは、秋も深まってきた十一月の

ことであったのだが、時期もあまり良くなかったのだ。新千歳空港岡山空港を結ぶ

直行便があるのは、いわゆる観光シーズンだけ。それ以外の季節に札幌から岡山を

目指すと、どこか他の飛行機に乗り換えるか、新幹線などに乗り換えてばならない。

はっきり言って不便である。

 結局、行きは神戸空港から新幹線、帰りは羽田で飛行機を乗り継ぎという予想以上

にハードな移動になってしまった。移動だけで一日がかりである。

 さて、小さなトランクをガラガラと引いて、岡山駅に降り立ったボクを迎えたのは、

明日から参加する学会のでっかいポスターであった。岡山らしく桃太郎が「でーん」

とデザインされている。捻りが無いと言えばその通りだが、数年前に札幌で行われた

ときはそこにクラーク像が鎮座していたのだから、あまり人のことは言えない。

 最早言うまでもないことであるが、ボクの滞在中、岡山はずっと雨模様だった。

ボクがどこかへ出かければ雨が降るのは、コップを逆さにすれば水がこぼれるとか、

食べ物を置いておけば腐るとか、中国が爆発するといったような自然の摂理に近い

ものがある。だから仕方ないのである。ちなみに全四日に渡った岡山滞在の間、

初日と最終日だけはなかなか良い天気であった。ちなみにちなみに初日は着いたら

あとは寝るだけで、最終日は朝一番で発表を終えてあとは札幌に帰るだけ。

「せっかくだから観光してやるもんね」

 などと考えていた中二日は遊びなく雨であった。これもまあ、いつものことである。

 ところで今回の滞在中、ちょっと変わった事態に遭遇した。

 岡山滞在二日目のことである。この日は小雨こそ降ったりやんだりしているものの、

傘さえさせば出歩けないほどではなかった。聞きたかった教育講演まで随分と時間が

あったので、その時間を利用してボクは倉敷を訪れていた。倉敷までは岡山から

普通列車で十八分と非常に近い。倉敷駅の近くには美観地区という古い街並みが

残った観光スポットと、モネの「睡蓮」やエル・グレコの「受胎告知」が展示されて

いる大原美術館がある。まず訪れる機会のなさそうな岡山にせっかく滞在している

のだから、それくらい見なくては札幌に帰れないわ! というわけで、ボクは早起き

して倉敷行普通列車に乗り込んだわけである。

(続く)