12/05/31 : 降水量 53 ml ~ 岡山滞在紀 2/2

(これは昨日の続きになります。まだお読みでない方はhttp://rainbringer32.blog18.fc2.com/blog-entry-59.htmlからどうぞ。)

 駆け足で倉敷観光を終え、宿泊しているホテルに戻ってきたのは午後一時を少し

回ったところであった。ちょうどこのとき、ボクが宿泊している十二階のフロアは清掃の

真っ最中であった。ドアというドアが半開きになっていて、清掃員のオバチャンが出たり

入ったりしている。他でもない自分の部屋もやはりドアが開いていた。普通ならこんな

時間に部屋に出入りはしないのだが、ボクは学会会場へ行くため、どうしてもスーツに

着替える必要があったのである。こそっと覗いてみると、ベッドカバーや布団が半分

剥ぎ取られているものの、現在部屋の中には誰もいない様子である。チャ~ンス! 

とばかりに部屋に忍び込み(自分の部屋なんだけど)掛けてあったスーツを手に

取った。ここで気をつけるべくは着替える順番である。下手にパンツ一丁で立っている

ところに、オバチャンが戻ってきたらそれほど気まずいこともない。そこでまずはシャツを

脱ぎ、シャツを着てネクタイを締めた。まだオバチャンが戻ってくる気配はない。ここまで

は非常に順調、文句のつけようのない展開であった。しかし半分開いたドアから廊下の

様子を伺いつつ、ジーンズを脱いだその時である。けたたましい警報が頭上から

降り注いだ。続いて、

「火事です。火事です」

 という妙に落ち着きはらったアナウンスが流れる。この時点でボクの頭は軽く混乱を

きたしていたのだが、続いて流れた放送がさらに追い打ちをかけることとなる。

「ただいま、十二階で火災が発生致しました。建物内にいる方は落ち着いて非常階段

から避難してください」

 思い出して欲しい。十二階といえばボクが宿泊しているフロアで、ボクが滞在している

フロアといえば十二階なのである。途端に廊下が騒がしくなり、ばたばたと人が走り回る

気配がする。

「いかーん!」

 そばにあった鞄を引っ掴み、ボクも避難しようとした矢先、目の前にある姿見が目に

入った。そこに映っていたのはYシャツにネクタイを締め、下半身パンツ一丁に靴下と

スリッパという変態チックな男であった。幾ら非常事態とはいえ、こんな恰好で岡山駅前

に飛び出せば警察官に連れて行かれそうな気がする。まだ学会発表も終えていない

のに、警察につかまったりしたら岡山までなにをしにきたのかわからない。

「いかーん!」

 一度は外へ向かいかけた足を止め、まずはスーツのズボンを穿く。ここだけの話だが、

こうしてズボンを穿くまでにドアの前と部屋の中を数往復している。まさにパニックを起こ

した人間の典型である。ところが右往左往しているうちに、混乱していた頭が少しだけ

冷静さを取り戻してきた。ボクが泊まっていたのは全国展開しているホテルチェーンで、

確かに背の高い建物ではあったものの、フロア自体の部屋数はそれほど多くない。

同じ十二階で火が出れば、それは目と鼻の先であるはずなのである。だのに廊下に

顔を出してみても、煙も見えなければ焦げた臭いもしない。しかもいつの間にか

火災警報も止んでいた。これはやっぱり変である。ボクは落ち着きを取り戻すと、

しっかりと皮靴の紐を締めてから、トランクをガラガラごろごろ言わせて部屋を出た。

このときにはもう、

「一応避難してみっか。燃えたらヤだし」

 程度の気分であった。ドアの内側にある避難経路を見て、廊下をほんのちょっと

歩いたところで、再び館内放送が流れた。

「先ほどの火災警報は誤作動です。火事ではありません」

 すれ違う掃除のオバチャンに謝られながら、ボクは一度部屋に戻って不要な荷物を

置き、改めて学会会場へと向かった。

「やっぱりね」

 内心ではそう思う反面、あのときパンツ一丁で外に飛び出さなくて本当に良かったと、

ホッと胸を撫で下ろすのだった。

 こうしてボクがどこかへ出かける度にトラブルが舞い込んでくるから困ってしまう。

例えるならボクは街頭で、トラブルが夏の虫である。まあ、おかげで書くネタには困らな

いんだけどさ。なんか釈然としないのよね。

(オワリ)

12/05/30 : 降水量 52 ml ~ 岡山滞在紀 1/2

 すでに半年も前のことになるが、ボクは学会に参加するために岡山市を訪れていた。

 半年! 自分で書いて自分で驚いてしまった。つい先日のように思い出せる、あの

岡山滞在から六カ月も経つなんて。六か月と言えば約180日である。180日あれば

二十日大根が九回も収穫できてしまうではないか。そうなれば二十日大根長者だって

夢ではない(夢だっつーの)。

 いつの間にやら二十日大根の話になってしまったが、早い段階で軌道を修正しよう。

今から遡ること半年前、ボクは岡山にいたのである。

 岡山は遠い。とにかく遠い。ボクが岡山を訪れたのは、秋も深まってきた十一月の

ことであったのだが、時期もあまり良くなかったのだ。新千歳空港岡山空港を結ぶ

直行便があるのは、いわゆる観光シーズンだけ。それ以外の季節に札幌から岡山を

目指すと、どこか他の飛行機に乗り換えるか、新幹線などに乗り換えてばならない。

はっきり言って不便である。

 結局、行きは神戸空港から新幹線、帰りは羽田で飛行機を乗り継ぎという予想以上

にハードな移動になってしまった。移動だけで一日がかりである。

 さて、小さなトランクをガラガラと引いて、岡山駅に降り立ったボクを迎えたのは、

明日から参加する学会のでっかいポスターであった。岡山らしく桃太郎が「でーん」

とデザインされている。捻りが無いと言えばその通りだが、数年前に札幌で行われた

ときはそこにクラーク像が鎮座していたのだから、あまり人のことは言えない。

 最早言うまでもないことであるが、ボクの滞在中、岡山はずっと雨模様だった。

ボクがどこかへ出かければ雨が降るのは、コップを逆さにすれば水がこぼれるとか、

食べ物を置いておけば腐るとか、中国が爆発するといったような自然の摂理に近い

ものがある。だから仕方ないのである。ちなみに全四日に渡った岡山滞在の間、

初日と最終日だけはなかなか良い天気であった。ちなみにちなみに初日は着いたら

あとは寝るだけで、最終日は朝一番で発表を終えてあとは札幌に帰るだけ。

「せっかくだから観光してやるもんね」

 などと考えていた中二日は遊びなく雨であった。これもまあ、いつものことである。

 ところで今回の滞在中、ちょっと変わった事態に遭遇した。

 岡山滞在二日目のことである。この日は小雨こそ降ったりやんだりしているものの、

傘さえさせば出歩けないほどではなかった。聞きたかった教育講演まで随分と時間が

あったので、その時間を利用してボクは倉敷を訪れていた。倉敷までは岡山から

普通列車で十八分と非常に近い。倉敷駅の近くには美観地区という古い街並みが

残った観光スポットと、モネの「睡蓮」やエル・グレコの「受胎告知」が展示されて

いる大原美術館がある。まず訪れる機会のなさそうな岡山にせっかく滞在している

のだから、それくらい見なくては札幌に帰れないわ! というわけで、ボクは早起き

して倉敷行普通列車に乗り込んだわけである。

(続く)

12/05/27 : 降水量 51 ml ~ アゼルバイジャンより愛を込めて

 拝啓。暑かったり寒かったりと、安定しない天気が続きます。巷では治るのに

二週間を要するという厄介な風邪が流行ったりもしておりますが、皆さん体調は

いかが?

 あっという間に五月も末になり、六月の背中がすぐ目の前。手を伸ばせば

毛むくじゃらの尻尾くらいは掴めそうです。嫌だ嫌だと言いながらも、働きはじめて

二ヶ月が経ちました。日々の仕事に楽しみを見出だせている人々は本当に凄い。

私はひとつも楽しくありません。必死になって目の前の仕事と殴り合いの死闘を

繰り広げ、失敗してはべこべこに凹み、業務後は教科書や論文をちくちくとつつき

回すうちに一日は終わります。楽しみなどどこにもない。働く喜びとはどこにある

のか! 隠れてないで出てこい! 市中引き回しの上、打ち首にしてくれるっ!

 取り乱しました。すみません。

 こんな厚顔不遜で生意気で、身の程知らずの私にも、検査室の先輩方は

皆さん大変優しい(全部似たような意味ですね。三重表現かしらん?)。物覚えの

悪い私に仕事を何度も教えてくれます。懇切丁寧。中には私を玩具にしてくる先輩

もいますが、別に嫌ではありません。それはそれで楽しいですよ。

「研究で成果を残し、いつか一旗掲げてやるのだ!」

 そんな野望を内に秘め、ときにだだ漏らしながら忙しい日々を送っております。

 そういえば昨晩はおかしな夢を見ました。ついに仕事が嫌になってしまった私は、

ろくに荷物も持たずふらふらと家を出たのです。特にどこへ行こうと決めてあった

わけではありません。自分自身、

「どこへ行くのかしらん?」

 などと考えていた節すらありました。自分の足で歩いているのに、暢気なものです。

そんな私は列車に乗り、気付けば見たこともない街角に立っておりました。背後の

建物には、

アゼルバイジャン

 の文字。思い返せば飛行機に乗ったような気もする。アゼルバイジャンという国の

ことはよくわからないけれど、恐らく公用語に片仮名は含まれまい。何しろどこに

あるのかも知らない国であるからして、その街並はヨーロッパと中近東と、昔行った

熱海を足して割ったような、それはもうごった煮的なものでした。しかし驚いたことに、

そんな見知らぬ土地で私を迎えに来てくれる人がいたのです。彼は小学生のころ

から付き合いのある友人でした。北海道のスーパー田舎(本人談)で教師をして

いるはずの彼がなぜここに? という疑問は、夢の中では浮かばない。その上

彼が借りているという部屋に案内されてみると、そこは子供のころから何度も行った

祖父母の家そのもので、私をさらに困惑の淵へと突き落とす。月日を経てぺらぺらに

なった座布団の上に胡座をかき、一応家にだけ連絡をしようとするのだが、

「そういえば携帯を海外で使えるよう手続きをしてこなかった」

 とか考える。これだけ支離滅裂な夢の中で、妙に現実的なところが私らしいと

いえば私らしい。結局、

「二、三日で帰るから。え? 今どこかって? アゼルバイジャン

 というとても異国の地からするとは思えない連絡を、ネットを介して入れたのでした。

 その後は隣の部屋に住むという漫画好きのアゼルバイジャン人青年と仲良くなり、

「俺は日本代表の選手だから、今度の遠征のときに日本の漫画を買ってきてあげる」

 などとうそぶき、夢はさらに混迷を極めていく。

 朝を迎えて目覚めた私は、ああ夢だったのかと思いつつ、あまり逃げ出したいと

考えるものでもないな、などと半分眠ったままの頭で考えるのでした。

 つかの間の休日ももう終わり。もう一晩眠れば、明日からはまた仕事が始まります。

本当にふらりとアゼルバイジャンへ行ってしまわないよう、しっかり頑張らねば。

 早々頓首

 社会人選手権二ラウンドKO寸前の私より

                      社会人選手権フェザー級チャンピオンの皆さんへ

 追伸

 アゼルバイジャンとはトルコのすぐ東に位置する国のようです。区分的には

西アジアだとか。いつか行ってみたいものですね。

12/03/11 : 降水量 50 ml ~ 三枚目の魅力

 グリッソムが辞めた。

 いきなりなんのこっちゃわからないかもしれないが、CSIという海外ドラマの

話である。放送されるやいなやアメリカでは社会現象となり、科学捜査班の

名称がCSIに変更までされてしまった人気ドラマなのでご存知の方が多いだろう。

現在AXNというケーブルテレビ局ではシーズン9が放送中なのだが、シーズン1

からチームのボスを務めてきたギル・グリッソムが昨シーズンを最後に辞めて

しまったのである。

 CSIには別のシリーズが二つあって、それぞれネバダ州、フロリダ州

ニューヨーク州を舞台にしている。フロリダでチームを率いるのは元爆発物処理班の

ホレイショ・ケイン。ニューヨークでは元海兵隊のマック・テイラーである。二人は

まさにアメリカン・ヒーローの王道を地で行く人物だ。銃を手にし、危険の中に

真っ先に飛び込んで行く。強く、格好良く、女性にモテる。この中でグリッソムは

他の2シリーズの主人公とはやや趣が異なる。彼は昆虫を専門とする科学者で

どちらかといえば冴えなく、変人の気がある。想ってくれる女性もいるが他の

二人ほどではない。腕っ節は強くないし、8シーズンの中でも銃を撃っている

ところはほとんど記憶にない。それでもボクはグリッソムが好きだったし、

他にもそういう人は沢山いたはずだ。でなければ人気シリーズで8年にも渡って

主演を務めることなんてできないだろう。

 ボクにはグリッソムが愛されるのと、大泉洋が愛されるのは根本が同じである

ように思えてならない。確かにホレイショもマックも格好いいし、嵐の松潤も小泉

孝太郎も格好いい。それは間違いない。けれど世間一般の大多数の人間は

ホレイショや松潤にはなれない。もちろんグリッソムにも大泉洋にもなれない

のだが、どちらかと言えば彼らの方に親近感を感じるはずである。この頑張れば

なれそうかな、というところも彼らの魅力の一つである。そして、

「普段は冴えないのに実は凄い」

「いつもは情けないけど、いざというときはやる」

 そういうところに、

「実は俺だってやるときゃやるのだ!」

 と、ボクを始めとするあまり冴えない一般人は感情移入しやすいと思うのだが、

皆さんいかがだろうか。

(オワリ)

11/10/27 : 降水量 49 ml ~ 現役修士生が論文なしで修士号に思うこと

現在午前1時30分。明日も朝から実験が控えていることもあって寝たかったのだが、どうしても看過できないニュースが目に飛び込んできた。

大学院、来年度から修士論文不要に 試験などで審査 (日本産経新聞)

具体的な中身についてはリンク先の記事を読んで欲しいのだが、中身を掻い摘むと、

博士課程進学予定者を中心に、大学院修士課程で修士論文を書かなくても卒業できる。すなわち修士号が得られる。その替わりに複数の研究室を渡り歩くようにし、広く知識を問う筆記試験やレポートを課すのだという。

企業が敬遠する専門バカを減らしたいという思惑があるようだが、正直これを言いだしたヒトは現場のことが何も分かっていないと言わざるを得ない。

ご存じのように大学院修士課程というのは基本的に2年で修了する(社会人と学生を両立している人はこの限りでないが、今回は本筋と関係が無いので無視させて下さい)。

そのなかで複数の研究室を渡り歩く。仮に4つの研究室を経るとして、1研究室当たり在籍は半年である。実際には一年中研究できるわけではないので、実質半年以下になるであろう。

当然だが研究室には研究室ごとのルールがあり、異なった備品が存在し、同じ実験であってもその手順が異なるのが普通である。

そんな状況で入ってきて半年以下でなにができるのか、甚だ疑問であると言わざるを得ない。

それどころか「専門バカを減らす」という目的から考えれば、渡り歩く研究室はかなり異なる分野であることが予想される。これではなおのこと何もできないうちに研究室を移ることになるだろう。

これはあくまでも個人的な見解だが、修士課程で学ぶべきは論理的思考であると思う(丁度、今日も研究室の先輩と話していたことで、この点に関しては共通の認識であった)。

過去の報告と自分の実験結果から仮説を立て、実証に必要な実験系を組み立てる。さらに得られた結果を解釈する。こういう論理的な考え方を学べることが修士課程の目的であり、意義であるように思うのだ。

一か所に半年程度では、このメリットは確実に失われてしまうだろう。研究を進めて行く上では、やはりそのテーマにおけるバックグラウンドの知識が少なからず必要になる(それが無くては何も考えられない)。

これでは「専門バカ」でなく「ただのバカ」が量産されてしまうだけではなかろうか?

正直に言ってしまえば、現行の制度でも修士号なんてものは修士課程入試にさえ受かってしまえば自動的に取得できてしまうのだ。

出来の悪い大学院生代表のようなボクに言われたくはないと思うが、「なんでこの人たち大学院にいるんだろう?」と思う人が少なからず存在するのである。仮にも旧帝の大学院であるにも関わらずだ。

ありえない数字のデータに疑問を抱かない。ずさんにも程がある実験ばかりしていて汚染ばかりしている。臨床検査技師という医療従事者でありながら感染管理に無頓着。

そんなヒトが思いつくだけで片手の指で数えきれないのが現状なのだ。

研究室に所属する人間がコロコロ変わるようでは、恐らく研究は進まないし、指導する側にも膨大な負担がかかるだろう。

そもそも教授や助教などのポストに座る人間を除いては指導できる人員もいなくなってしまう。全ての研究室がそうだとは言わないが、実際に手を動かしているのは博士修士の院生や助教であるケースが多いと思う。

その原因の一端となっているのが教授の抱える事務仕事の多さである。それが変わらず、サポートできる人員が大幅に減るのだ。教わる側にとってもこれが好材料であるはずがない。

そのあたりは博士課程でやるから、修士の間は見識を広めさない、ということなのだろうか。

収拾がつかなくなりそうなのでこの辺りで〆ることにしよう。

最後に一つだけ断っておかなくてはならないのは、これはあくまでも大学院修士課程に在籍する一大学院生の見解であり、すべてがこの限りではないこと。そしてボク自身決して出来が良いとは言えない大学院生であること、これは誤魔化しようのない事実である。

だが実際に今、修士課程にいる不出来な院生の生の意見である、というのもまた事実である。

11/05/25 : 降水量 48 ml ~ ぶらり途中下車の旅 2/2

 ところが先日は話が違った。レベル3クラスの腹痛が襲ってきたとき、ボクはバスの

中にいたのである。目的地まで三分の二近くもの距離を残した状況で襲ってくる腹痛。

最悪の状況である。とりあえず下手に出てなだめてみたのだが、どうやら腸内の状況

も相当逼迫しているらしく、一向に引いてくれる気配がない。ならばと手元の文庫本に

集中し、意識を腹痛から逸らそうと試みるが、やはり駄目である。

「うーむ、途中で降りると交通費が倍になるんだよなあ。ぶりり途中下車の旅、なんて

笑えないしなあ」

 などと考えている間にも、腹部からは緊急信号が続々と送られてくる。いよいよ

危機レベルが3から4に引き上げられそうである。このあたりで腹痛には慣れている

ボクも流石に焦り始めた。

「隊長! これ以上は抑えきれません。一刻も早いベント(原子炉内の圧力を抜く

あれですね)が必要です!」

「それだけは絶対にならん! 貴様ここでベントなんぞしてみろ。人としていろいろ

失うことになるぞ!」

「ですが限界です!」

「ならんと言ったらならん!」

 まあこうやって書くとシリアスなドラマのようだが、実際には便意を我慢している

だけ。しかも事の最中はこんなことを考える余裕もなく、とにかく頭の中では、

「どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする俺?」

 と実のない考えが渦巻き、額には脂汗、目もうつろ。しかも「どうする?」と言った

ところで選択肢は二つだけ。このまま目的地まで我慢比べをするか、途中下車して

コンビニにでも入るかしかない。

 ボクは即決した。

 よたよたと席を離れ、微妙な場所にある停留所で下車する。それほどまでに状況は

ギリギリだったのだ。たかが数百円。それで人間としての尊厳が保てるのであれば

安いものである。

 このあたりには以前遊びに来たことがあるから、横断歩道さえ渡ればコンビニが

あることは分かっている。しかし無情にもボクの目の前で信号が赤に変わってしまっ

た。そういえばさっきバスの中からコンビニが見えた。どっちだ。どっちが近い? 

ロー○ンか? セイコー○ートか? 右か? 正面か? 腹痛の状況を鑑み、

二軒のコンビニの距離を考慮して、ボクは信号が再び青に変わるのを待つことに

した。頭の中はフル回転である。そしてまあ、この数分の長かったこと。永遠にも

感じられる数分ののち、ボクは再びふらふらと歩き始めた。

「これでトイレがなかったら俺は終わりだな」

 なぜか冷静にそんなことを思いながら、ボクはセイ○ーマートの自動ドアを潜った。

 そしてトイレの前には清掃用具が並べられていた。

「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 心の中で絶叫し、神を呪いながらトイレに近づくと、清掃中だったのは店内の床で

トイレではなかった。数秒前に呪ったばかりに考え付く限りの感謝の言葉を述べ、

崇め奉りながらトイレへと駆け込む。本当にギリギリの状況であった。

 寸でのところで人間としての尊厳を守り抜いたボクは、適当なお菓子を一つ買って

コンビニを後にした。トータルで五百円ほどの出費になったが、代わりに得たものを

考えればとるに足らない額である。

 このように日常的に腹痛とお付き合いをしていると、かなり際どい状況に追い詰め

られることがままある。本来は味方であるはずの自分の体が謀反を起こす。それは

大きな恐怖である。皆さんゆめゆめ油断なさらぬよう。ああ、書いてたらまた腹痛が。

痛つつつ……。

(オワリ)

11/05/24 : 降水量 47 ml ~ ぶらり途中下車の旅 1/2

 自慢ではないがボクはお腹が弱い。正確に数えたわけではないけれど、一年のうち

三分の一くらいは腹痛を抱えて生きていると言ってもいい。家族や同僚でもない限りは

毎日顔を合わせたりしないから、これを読んでいるあなたはボクに会ったら、

「ああ、きっと今日もまたお腹痛いのね」

 と思ってい頂いて差支えないと思う。

 ここまで読んだ段階で勘のいい読者諸氏はすでに気が付いただろう。今日はビロウ

な話であるので、万が一(まあ、そんな人はいないと思うけれど)食事中の方がいたら、

すぐにこのウィンドウを閉じるか、最小化して食事を無事終えたのちに戻ってくることを

お勧めする。特にカレーを食べている方は要注意である。ついでに途中原発事故対応

を茶化したような表現も出てくるので、

「そんなものは不謹慎だあ!」

 という方も読まないことをお勧めする。

 では必要な注意喚起も済んだところで本題に入ろう。ボクはちゃんと忠告しました

からね。この先を読んで気分を害したからと言って苦情は受け付けませんからね。ね?

 さてこうやって頻繁に腹痛とお付き合いをしていると、自分の限界というのもおのずと

見えてくる。つまり、

「このくらいならまだまだ我慢できるな」

 だとか、

「あ、もうヤバイ。これは本当に限界だ」

 というラインが把握できてくるのである。この先の話をしやすくするために、前者を

レベル1、後者をレベル4としよう。レベル4は本当に本当の限界である。ちなみに

そういう危機状況が把握できるだけでなく、レベル3くらいであればなだめすかして

腹痛と折り合いをつけることもできるようになる。

「お願い。あと十分で講義終わるから。そうしたらトイレに直行するから。もうちょっと

待って、ね? ね?」

 そうやってとにかくへりくだり、腹痛様に待っていただくわけである。そうしていれば

たいていはレベル3の段階でトイレに駆け込むことができる。まあ、駆け込めなかった

場合の結末を考えれば、当然の話である。

(続く)